南アフリカ(ダーバン)旅行の基礎知識を紹介します。
ダーバンの季節:
夏は10月から3月位まで、冬は5月頃から。日本と真逆の気候です。
飛行ルート:
中近東での色んな事件を考えると、香港経由が良さそうですが、香港からだと、12時間以上の飛行機になります。目的地のダーバンへは、ヨハネスブルぐへ行って、ダーバンへ移動になります。
中近東のドバイ経由であれば、エミレ―ツ航空や、南アフリカ航空などのダーバン直行便があります。
中近東を経由するのであれば、ドバイの観光も乗り継ぎ時間を利用してすることが可能です。
ドバイは元々中近東でも戒律がそれ程厳しいところではありません。 ホテルでは、自由にお酒も飲めます。
エミレ―ツは中近東の航空会社では、一番しっかりした航空会社と思います。 アラブ首長国連邦の会社です。 日本の航空会社も飛行機便を飛ばしてますが、価格が結構高め。南アフリカへ行くのは、国内航空会社と南アフリカ航空等の共同運航便となりますので、高い日本の航空会社をえらんでも余り意味がないと思います。
飛行機予約:
パック旅行であれば、旅行代理店の方がサポートが良いかと思います。 運賃重視であれば、楽天、ヤフートラベル、又は、航空会社のネットで予約します。
ドバイトランジット:
乗り継ぎ便で、ダーバンまで行くのは、20時間以上となりますので、ドバイで一泊しても良いと思います。 特にご年配の方や、ドバイの観光をしたい人。
観光をしないのであれば、ドバイ国際空港ターミナルに、インターナショナルホテルがあります。このホテルはトランジット扱いになりますので、到着ゲートからセキュリティー検査を受けそのままホテルへ。
一泊、2万円以上と少々高額です。 エミレ―ツであれば、乗り継ぎ時間が8時間以上、24時間以内であれば、無料で宿泊できる可能性があります。この点も含め、航空会社の選択をしましょう。
マイレージサービス:
ダーバン:
ダーバンは、南アフリカ共和国クワズール・ナタール州にある南部アフリカでも有数の世界都市です。人口はヨハネスブルグに次ぐ南アフリカ第2位の都市で人口は320万人程。 大阪市の人口が260万にですから、大阪よりも人口からすると大きい都市となります。
ズールー族が多く、英語、アフリカーンス、ズールー語が話されています。 インドやコロニアル様式の影響を受けた文化や建築物が残されており、南アフリカでも他に類を見ない都市。
南アフリカの東海岸で海岸に沿った都市で、インド系移民が多く、80万人。 ダーバンカレーが有名。
事前の基礎情報:
海外旅行の場合は、『地球の歩き方』と言う本を出来れば買いましょう。1900円の本ですが
旅行に必要な情報はほとんど載ってます。又、現地で観光する時も記事が載っていれば、観光の楽しみ方も深まって来ます。
海外旅行の為の3種の神器:
昔は、パスポート(ビザも...必要であれば)、航空券、お金(T/C=トラベラーズチェック)でしたが、現代では、パスポート、航空券チケット、Creditカード+少額の現金。
南アフリカ通貨のランドは、最低限度の両替を日本でします。 アメリカドル、ユーロは日本でそれ以外は現地で。。。ちなみに今回の旅行では。。1ランド=10円(日本)1ランド=7.4円。高額の両替を日本ですると、25%程損することになります。
TCと言えば、アメリカンエクスプレスのトラベラーズチェエクが代表的でしたが、これは既に廃止されてます。 と言うかトラベラーズチェックそのものが廃止されてます。 その代わり、Debitカードやプリペイドカードを使うようです。
デビットカードは銀行口座からの引き落としですが、当然口座がないと作れません。
一時的なトラベラーはプリペードカードの様なものを使うみたいです。
南アフリカでは、ATMカードがATMの機械から出てこないなどのトラブルもあるようで、プリペードカードの方が安全かと思ってます。 それだけ、南アフリカでは偽造カードが多く、セキュリティーが厳しく、機械の誤動作も多いようです。。
クレジットカードは問題なく使えますが、カード会社に事前に南アフリカへ行く旨届けておきましょう。 又、4桁のピンナンバーも確認して覚えておきましょう。
- 時 差: 日本との時差 7時間
- 飛行時間: 大阪~ドバイ 10時間、ドバイ~ダーバン 8時間
- ビ ザ:
90日間以内の滞在ならビザは不要。入出国カードはなく、通常は税関申告書必要(飛行機の中で配布されます。家族あたり、一枚でオッケーです。
- 予防接種:
日本出発便は不要。 ザンビアを含む黄熱汚染国を経由して入国する際には、たとえ飛行機の乗り継ぎで立ち寄っただけでも黄熱予防接種証明書(イエローカード)の携行が義務付けられている。。。。黄熱病予防接種証明者の有効期間は10年。ジンバブエのビクトリアの滝の観光などでは、予防接種が必要
- 通貨単位:
南アフリカ・ランド(R)、補助通貨(コイン)はセント(¢)。R1=100¢。R1≒7~10円 紙幣の種類はR200、100、50、20、10、硬貨の種類はR5、2、1、50¢、20、10、5、2 1ランド=10円と覚えて居ればよいかと。。。直近の為替では、ランドの価格が下がり、1ランド=7円程のようです。(日々変動しますので要確認) - チップ:
レストラン、バーでは支払い料金の10%をウエーター、ウエートレスに。ホテルのメイド、ポーター、ボーイ、ガソリンスタンドの従業員、タクシードライバー、ツアーのガイドなどには、R5くらいだが、サービスの程度、自分の満足度によって10%ほどあげれば相手の励みにもなる - 電源:
電圧はほとんどの地域が220/240V、50Hz。プラグは丸型3ピンのB3タイプに似ている どこの国でも使える、マルチ電源アダプタがあれば便利です。
昨今はセキュリティーが厳しく、エミレ―ツ航空会社などは、パスポート情報の事前登録が必要な所もあります。
現地ホテル:
旅慣れているのであれば、郊外の安全な地域のBed and Breakfastが値段も安くて良いのですが、初めてであれば、宿泊先は決まっていると思いますので取り敢えずは、そこで。
BBはベッド & ブレックファーストの略で、イギリス等にも多くあります。 ベッド(宿泊)と朝食が出る民宿見たいなものです。。
南アフリカの歴史:
アフリカに人類が出現したのが300万年程前
ヨーロッパ人がこの地に辿りつくのは、1488年頃 この時、この地域がナタールと名付けられました。オランダ語でクリスマス。。世界史で学んだ、オランダ東オランダ会社が出来たのはこの後です。その後、ケープタウンが出来ます。 このころは、オランダ支配
ナポレオン戦争がヨーロッパで勃発すると、オランダ支配が終わり、1788年頃にイギリスがケープを占領。 1814年にイギリス植民地に
1886年、トランスヴァール中央部、現在のヨハネスブルグにおいて金が発見され、ゴールドラッシュが起きた。
1910年5月31日に成立した南アフリカ連邦
1948年、国民党は政権を獲得し、マランが首相に就任した。国民党は政権獲得後、1950年より人種差別政策を実行に移し始めた。この政策を、国民党は人種ごとに分離して発展するものであるとして「分離」(アフリカーンス語でアパルトヘイト)と称した。
1989年、フレデリック・ウィレム・デクラークが大統領に就任。デクラークは従来の対決路線から対話路線へと転換し、1990年2月11日にネルソン・マンデラを釈放。さらにオリバー・タンボやウォルター・シスルなど黒人指導者を釈放し、ANCは1990年8月に武装闘争を放棄。対話への道が開けた。 アパルトヘイト政策の終焉
こうして、年表を見て行くだけでも、南アフリカの複雑な状況が分かるような気がします。
オランダ、イギリス、白人、原住民、そしてナポレオン戦争。。。オランダの補給基地としての植民地化などなど。。。面白いようで、複雑。。
これで、一応、準備編はお・・わ・・り・・ この後は観光編へと続きます。